当時十二歳だった少女が後々語ったという、1945年沖縄戦での話です。
渡嘉敷島が玉砕した日、彼女たち三人の姉妹は両親が自決した後も生きていた。
一番下の弟は二歳で、死んだ母の乳房にすがっていた。
そこへアメリカ兵がきて、チョコレートを差し出す。
すると、近くにいた年上の女たちが
「毒が入っているんだから食べてはいけないよ」
と注意したという。
十二歳の少女は、
(どうせ皆死ぬのだ。
お母さんが死んでおっぱいもなくなれば弟も生きてはいないだろう)
と思い、
アメリカ兵からチョコレートを受け取り
それを弟に与えた。
それを見守っていたアメリカ兵は激しく泣き出した。
少女はその涙を長い間忘れないという話でした。
~曽野 綾子 「アメリカの論理 イラクの論理」より~
この話を曽野綾子さんは
「恐ろしく高級な意識をもった二人」
と書いています。
激しく泣いたアメリカ兵も同じ人間。
「アメリカ兵は、人命について深い思慮を持っていた。
少女も十二歳ながら『死を受け取る』という選択は堂々たるものだ」
と。
この一行を書き写しながら私もウルウルです。